日々実践していること

still lake
photo : moments of peace and meditation : license

マインドフルネスという言葉が耳慣れたものになった今日この頃ですが、私もここ10年来、瞑想の実践を継続しています。
最初の7年程は仙道的な気の鍛錬を行い、近頃はインド由来の瞑想を行っています。
当初のきっかけは、常にクリアな状態で施術に向き合うためでした。
実践の継続は、日々の心身を調律し、一人一人の患者様にフレッシュに向き合うためには欠かせない生活の一部となりました。

実践を継続していると気づくことがあります。
私達は日頃他人に話すのと同様に、自らの【理性と本心】もしくは【思考と感情】の間でのおしゃべりを絶え間なく行っているということです。
実際に頭の中で言葉にするかどうかは別として、様々な雑念が来ては去っていきます。
また、他者や自分自身の価値観に応えようと、本心とは異なる思いによって行動する時、人は内側のおしゃべりが過ぎる傾向にあるとも感じます。
過度な内側のおしゃべりは、感情や精神のエネルギーの消耗につながります。
感情や精神の消耗が日常になっていると、自分の内側がとてもうるさいことにも気づけなくなってしまいます。

一方、何かに没頭している時には、内側のおしゃべりは消えています。
日本語の「没頭」つまり頭が無い状態という表現も、大変示唆に富んでいると思います。
何かと一体になっているという瞬間の連続がもたらす静けさは、素晴らしく充足した時間です。
人間の思考は移り気であるため、一つにフォーカスし続けることはなかなか難しいように思います。
そのために呼吸やマントラの有効活用が、古くからの伝統の中で連綿と伝えられてきました。

瞑想の実践と日々の臨床の経験から得られた英知の一つとして、呼吸のリズムに意識を向け続けることや臨床の現場で患者様の反応に意識を向け続けること、つまり自分の思考以外の他の何かに意識を向け続けている瞬間は全て瞑想なのだということがあります。
それは例えば、ヨガの最中にも同じく感じることです。
日常の行いの瞬間瞬間に意識を向け続けてみることは、生活の中での安寧のリズム作りには欠かせません。
ただでさえノイズが多い世界情勢や、慌ただしく過ぎていく日常の中でさえも、自分の内側には静寂を保ちたいものです。
自らの内側の静寂は、結果として外側の、私たちを取り囲む場へと波及していきます。
これからも一日一日の毎日作りに、肯定的に関わっていきたいと思います。

瞑想、と聞いて、なんだか難しそうだな、と尻込みしてしまう気持ちもあるかと思いますが、一度実践してみると、思わぬ効果にびっくりされるかもしれません。