Sさんとのロルフィングセッション 8〜10

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セッション4〜7で、仙骨の感覚、歩く時の脚からのつながり、頭頚部のスカイフック感覚を掴まれたSさん。

そして、コアのセッションの過程の中で、無意識にやっている動きの癖や変えるべきボディイメージに気づかれていました。

セッション 8〜10:インテグレーション

セッション8〜10はインテグレーションと呼ばれます。

インテグレーションとは何か?

ロルフィングにおいてのセッション1〜7はアプローチする場所と順番が明確にデザインされています。
筋膜の制限や感覚の盲点を最も効率的に改善できるようにシステム化されているためです。

「問題は何か?改善点はどこか?」という原因分析のメガネを用いることにより、この間のセッションを行います。

 一方、8〜10のインテグレーションにおいては、問題や制限への着目といった観点から、ここまで進めてきたことを踏まえた上で、現在のニーズや目的に再度焦点を合わせます。
それは、1〜7のセッションにおいて制限箇所のリリースや盲点への気づきが促されたことにより、当初の目的の達成や更なる深いニーズへの気づきがもたらせれていることが多いからです。

「目的達成のためのリソースは何か?真のニーズは何か?」という解決志向のメガネを用いて、セッションを行います。

セッション1〜7で 筋膜などへのアプローチにより制限箇所を調整し、身体の使い方や感覚を再学習することにより軸自体を整え、セッション8〜10において、整えられた軸をどのように活用すれば良いのかに焦点を合わせて行うのです。

調律と調和

私のロルフィングの師匠の一人、Giovannni氏はこんな表現を用いて説明していました。

セッション1〜7は各楽器をチューニングしていくようなセッションである。ピアノや弦楽器や管楽器の調律を行うように、人体の各部位を調整するのです。そして、セッション8〜10で、調律した各楽器を持ち寄り、オーケストラとしてどのような曲をどのように演奏するのか、ハーモナイズさせ調和させるためには何が必要かに焦点を当てるのです。

これは、セッション毎の本質を見事に表現している例えであると思います。

各楽器のチューニングの必要性=身体各部位の制限や感覚の気づきを促すこと、を行った上で現れてくる本当の目的や本当に必要な何かが明確になり、それに向かってどのように身体を調和させていくのかを学び直すのです。

背骨のストリームライン

ロルフィングでは「ライン」という考え方を重要視します。

ラインには、Static Line 静的なラインとDynamic Line 動的なラインの二つがあると考えます。

静的なラインとは、一般的に言われるような体のアライメントなどの配列が整っているのか、見た目の姿勢などのバランスが取れているのかという観点を指します。

象徴的に、ロルフィングのロゴにもなっているロルフィングボーイに図示されています。

動的なラインとは、静的なラインで整えられた軸を動きの中で機能的に活用するために、適切な各部位に適切な張力を保つことに見出されるのだと考えています。

実際には余分な力みがなく不必要な緊張がない状態において、動きや振舞いにしなやかさや伸びやかさが表現されているのかどうかなどを考慮します。

静的ラインが整ったとしても、姿勢の維持や動きの中では、長年の根付いた癖が顔を出します。
数十年のパターンの蓄積は根深く、私たちの生活のあるゆる動作に無意識に関わっています。

動的ラインを整えていくうえでは、ロルフィングセッションの中で見出された特定のキューを適用する必要があります。

Sさんにとってのそのキューとは、「背骨を潰さずに、伸張させるかのようなストリームラインを引き出す」というものでした。

水泳を長く行っていたSさんは、背骨の深部感覚が発達していました。

静的ラインを整えていくプロセスにおいての様々な気づきを、ヨガのアーサナや日常の動きの中へ適応してくださっていました。

特にSさんの重要箇所である咽喉部の使い方を学び直す際に、身体感覚を養う基礎になった水泳時におけるストリームラインの感覚と動的ラインを結びつけることができました。

感じていただけたストリームラインの感覚とはまさに、背骨をしなやかに伸張するための核心の感覚となります。

一度この感覚を背骨にセットしてから動き出しを行うことを繰り返すことにより、確実に背骨のストリームラインが自分のものとなっていくのです。

この感覚を身体に再び根付かせることにより、重力下において最適なバランスを見出し続けることができるのです。

生活とは動きの連続である。

静的ラインが整った上で、静的ラインにしなやかさやのびやかさや心地よさを吹き込むことが、動的ラインを引き出すこととなります。

そして、引き出された動的ラインを感じることが、「今よりも心地よい身体に出会うこと」であると言えます。

お一人おひとりが持つ可能性とは、静的ラインと動的ラインの中に宿っています。